斜視治療エス

"斜視"を治すために、わたしたちが、できること。

Dr.Frederick.W.Brockの知恵と業績(2-4)

どのようにブロックは眼の姿勢と視覚の解釈との間の関係を発見したのだろうか。

確かに、彼は斜視を持つ患者から多くを学んでいた。しかし、もうひとつ、彼の洞察の源が存在していた。(*1)

それは講義ノートの30ページに載っている。

そこで彼は、どのようにしばしば複視を体験したのかを述べている。

それは信号を見ている時に起こり、断続的に目の位置が相違することが原因であった。

彼はそのことについて、こう書いている。

「それは単なる融像の問題だったのだが、その結果いつもとはかなり大きく異なる風景が見えた。」と。

そう、ブロック自身が目の位置の変化がもたらす視覚的な解釈変化を経験していたのだ。


  (*1) なんと、フレデリック・W・ブロック医師は自分自身が斜視を経験していた検眼医でした。

だからこそ、患者に対して親身に、その人全体を見るやり方で接することができたし、自分で自分の斜視を治したことがあるからこそ、多くの患者の斜視を治すことに成功していたのではないでしょうか。

今の日本には自分で自分の斜視を治したことがある眼科医の方はどれくらいいるのでしょうか?

Dr.Frederick.W.Brockの知恵と業績(2-3)

両眼視をするためには、両眼感覚野が存在すること、そして中心窩(*1)間の協調が必要になる。ブロックは断固として次のように主張した。

「両目が協調しているときの網膜の領域は、2つの中心窩と、そしてそれぞれの中心窩の同じ側から等距離にある領域とからなる」と。 (*2)

その他の領域が両目が協調する領域として受け入れられることはないのだ。

複視を持つ人は、両眼が協調する領域から受け取る画像を、融像させない。したがって、両眼感覚野を得ることがない。代わりに2つの独立した感覚野が存在するのである。

つまり、それぞれの目に一つずつ感覚野が存在し、その結果生じる複眼野で右目と左目の知覚を統合し、そこから生じる結果を知覚する。

対照的に、両眼感覚野での知覚は右目だけのものでもないし、左目だけのものでもないのだ。

それは、質的にどちらとも、異なっているのである。

これは非常に大切な洞察(*3)なのだが、多くの視覚科学者に見逃されてきたことであるし、私を全くの驚きへと導いていったものでもある。

私が初めて自分の目を融像圏(*4)に向けることが出来た時、その結果生じた知覚は、物体の間にある明白な小さい空間(*5)についての感覚であり、全くもって目新しいものであった。

私に新しいクオリア(主観的な感覚)がもたらされたのだ。

 


 (*1)中心窩 := 視力が特に鮮明に映る黄斑部の中でも中心のところ。

(*2)文の意味を一応訳してみたのですが、きちんとまとまっていませんね。。目を協調して使うために使える領域が決まっていて、それは中心窩から一定の範囲内にあるところだけだ、という意味です。今の段階ではうまく言葉にできません。

(*3)これ := 普通の人が普通にしている両眼視(=立体視)は斜視の人から驚異的なものです。片目だけで見ている景色でも、片目で見たものを2つ見ているだけとも全く違っています。立体視は 1+1が2にならないという好例だとも言えるのではないでしょうか。

(*4)融像圏 := 人の目が両方の目を融像、つまり同じ空間に像を融合させることができる領域は決まっていて、これを融像圏と呼んでいます。

(*5)物体の間にある明白な小さい空間 := 斜視の人は立体視することができないので、物体物体の間にある"なにもない"空間を認識することができません。この"間"の空間を初めて見たときの感動がここでは述べられています。

Dr.Frederick.W.Brockの知恵と業績(2-2)

眼の姿勢と視覚解釈との間の関係に導かれて、ブロックは眼のトレーニングのルールを作り上げた。彼は眼の姿勢を3つの基本的な種類に分けた。(*1)

両眼姿勢---この姿勢では、焦点を定めた1つの物体を見る時に両方の眼を同時に使う。(*2)

単眼姿勢---この姿勢では片方の目だけしかターゲットに焦点を定められず、最終的には、複視姿勢(*3)になる。(より一般的には異常対応として知られる。)

単眼姿勢を取ると、人は見ているものを解釈するのに、焦点があっている眼からの入力しか使わない。

対照的に、複視姿勢を取っている人は1度に二つの方向を見て、両眼の黄斑部(*4)に映る象を同時に解釈することができる。この適応は時とともに発達する。

はじめは単眼姿勢をとっていた人が、回転させている眼の黄斑部に映る象を利用できるように適応していくのだ。複視、斜視は世界についての洗練された視覚的な解釈を与える。

しかし、普通の両眼視が達成されるのは、眼が普通の両眼姿勢をとっているときだけだ。

ブロックは、全ての斜視の人のための(片目を抑制している人、弱視の人、他の代替手段で適応している人、そして複視を持つ人を含む)ビジョントレーニングには、両眼姿勢を定着させるものを入れなければならない、と主張した。


 (*1)両眼姿勢、単眼姿勢、複視姿勢の3つ。単眼姿勢を続けた結果、複視姿勢につながると述べています。

(*2)この両眼姿勢が大多数の人が採用している眼の使い方です。(でも斜視の人などはそれができない姿勢をとってしまっている。)

(*3)3つ目の姿勢のとり方です。

(*4)視力の鮮明な部分を黄斑部と言います。(再度載せました。)

Dr.Frederick.W.Brockの知恵と業績(2-1)

「姿勢をどうとるか」こそが「反応がどうなるか」を決めている

「姿勢をどうとるかこそが反応がどうなるかということを決定しているのである…眼が斜視の姿勢をとっているときは、その人は斜視的に考えている。
しかし、彼の眼が正常な姿勢になったとき、斜視的には考えなくなり、私達正視を持つ人のように考えるのである。」


したがって、立体的に解釈する能力を教える必要はない。教えなければならないのは、両眼視が正常にできる姿勢が取れるようにすることであり、2つの眼を空間上の同じ場所に同時に向けることである。


この考えは、ブロックの講義ノートの主要なテーマを端的に表しているし、また私がビジョンセラピーを行っている間に経験した多くのひらめきの一つでもある。

私ははっきりまた詳細にビジョンセラピーのセッションで初めて試してみたある一つのことを覚えている。

それは、ブロックストリング(*1)についている近くの玉を融像して、そして次に遠くの玉を融像するということだった。

私は自分の目が生まれて初めて一緒に動いていることを実感し、その日の遅くに初めて立体視を体験した。自分の目を融像できる位置に移すこと。それはブロックが融像努力と呼んだものだが、それによって私は斜視的に考えないようになり、生まれて初めて世界を立体的な奥行きをもったものとして見ることができたのだった。(続く)


 (*1)ブロックストリングはブロックが斜視の人に立体視を身に着けさせるために考案した道具です。後日画像を貼ります。

 

Dr.Frederick.W.Brockの知恵と業績(1-5)

私がブロックによる斜視の説明にとても驚いたのは、特に私がビジョンセラピーを受ける前は読書中どのように眼を使っていたのかを知った時だった。

私は片目で文章を凝視する一方で、もう片方の眼を25プリズムジオプトリ(*1)回転させていた。したがって、見ている眼の中心窩で捉えられている文字のイメージはもう片方の回転させている眼のblind spot(*2)に割り当てられる。

私は無意識のうちに見ていない眼のほうからの矛盾する入力を排除する方法を見つけていたのだ。

 


 (*1)プリズムは屈折を起こすもの。ジオプトリはプリズムレンズの焦点距離の逆数を表す単位のことです。

(*2)blind spotは盲目圏とでも訳したらいいのでしょうか。回転させられている眼はもう片方の眼に映ってるimageを捉えられない、そのような網膜の場所のことをblind spotというみたいです。

Dr.Frederick.W.Brockの知恵と業績(1-4)

フレデリックブロックは講義ノートを「生物の法則」として体系付けられた基本原則のリストで書き始め、ときおり人のことを一般的に「生物」として言及した。

これらの用語は現代に生きる私達の耳には奇妙に聞こえるかもしれないが、ブロックによる、カートゴールドスタイン(*1)という神経学者の著作研究から生まれたものである。

ゴールドスタインのように、ブロックは患者にホリスティック(全人的)なケアをし、患者に現れている症状は彼/彼女自身の状況への対処方法として見れば、しばしば理解できる、と教えていた。

ブロックが彼の講義ノートの12ページと13ページで述べているように、「斜視」は融像能力が弱いことへの適応であると同時に、原因でもあるのかもしれないのである。空間位置を正確に知るために人は左右の目それぞれの黄斑(*2)から類似した融像可能なimage(*3)を受け取らなければならない。類似していないし、融像できないimageを受け取ったら、複視や視覚混乱につながる。これらの症状になったら、片目の黄斑に映るimageを抑制することが必要となる。

もしも融像を得ることが出来なければ、2つの眼の整合性がとれなくなるような努力が決定される。つまり、眼を回転させて、周辺位置を変えることで、黄斑部でないところに物体のimageの焦点を結ばせ、ぼやけさせて、容易に抑制できるようにしようとするのである。

(続く)


(*1)Kurt Goldsteinは"The Organism"という古典の著者。ホリスティックな立場から生物を見ていたそうです。19世紀後半~20世紀前半に生きた人です。

(*2)黄斑というと難しいことに聞こえるかもしれませんが、視力が特に鮮明に見えるところが黄斑部と名付けられているそうです。

(*3)imageは普通像と訳されます。でも像っていうと、仏像の像や、実像やら象やらがこんがらがって、イメージとしての象と区別しにくいです。なので、ここではimageとそのまま書いておきましたが、これ以降イメージと記載することにします。

Dr.Frederick.W.Brockの知恵と業績(1-3)

パートリッジ夫人が私にくれた論文はすべてSUNY検眼校に存在するものだった----
一つの例外を除いて。
それは未公表のもので、タイプライターで書かれた原稿だった。
タイトルは、「斜視に関する講義ノート」と名付けられていた。(*1)
このノートはブロック博士の観察と洞察の中で最も重要なことを要約していた。
 
私は彼女の許可を得て、それを私が運営しているWebサイト(*2)で公表した。
この草稿を私の考えに沿って要約したものをこれから書いていく。
 (続く)
 

 
 
(*1)フレデリック・W・ブロックが斜視について考察したことがまとめられています。斜視である僕にとっては驚くべきことがたくさん書いてあるので、このページも日本語に変換することを試みてみたいと思っています。↓がそのリンクです。

http://www.stereosue.com/wp-content/uploads/2011/04/Brocks-Lecture-Notes-on-Strabismus1.pdf

 
(*2)「視覚はよみがえる」の著者、スーザン・バリーさんは自身のWebサイトを運営しています。
気になる方は↓のリンクからどうぞ。